はじめに
トライアルが終わり、正式にウェディングカメラマンとしての副業がスタートした。
最初の現場は、横浜近辺の海沿いにある素敵な結婚式場だった。機材は現場が用意してくれるので、私はほぼ身ひとつで向かうだけでいい。月にどれくらい仕事をもらえるか最初は見当もつかなかったので、毎週土曜日と隔週日曜日をスケジュールとして提出した。
こうして30代の私の一週間は、月〜金はサラリーマン、土曜は撮影、日曜は隔週で撮影、という新しいリズムへと変わっていった。

副業での初給料
ウェディングカメラマンの給料は時間給ではなく、結婚式1本あたりいくら、という仕組みだ。
式場によって撮影時間は違う。長いところだと「ブライズルーム→挙式前リハーサル→受付→挙式→披露宴→送賓→写真撮影」と、撮影だけで5〜6時間。カメラの準備を含めると7時間近くになることもある。
私のスタートは1件8,000円。交通費・食費込みだ。
「安い」と感じるかどうかは人それぞれかもしれない。でも当時の私には、十分すぎるほどに嬉しい金額だった。
補足しておくと、自前のカメラを用意できるカメラマンは、機材費を請求できる場合もある。ただし、式場によってカメラの指定があったり、数年ごとに買い替えが必要だったりと、維持費もそれなりにかかる。「機材費をもらえる分、出費もある」というバランスは最初から理解しておいた方がいい。
最初の月の副業収入は、たしか4万〜5万円だったと思う。当時は会社員の給料がそれほど高くなく、妻のほうが稼いでいた。だからこそ、この金額が本当に嬉しかった。
給料が入った日、妻とロイヤルホストへ行って、ふたりでたくさん食べた。(笑)

思い出の披露宴——感動と、やらかしと
デビューから約1年後のある日、余興のゲストスピーチとして、小泉進次郎さんが登場した。
詳細は書けないが、あの場にいた全員——ゲストも、スタッフも、カメラを持っていた私も——完全に引き込まれた。言葉のひとつひとつに重さがあって、なんとなくオーラをまとっているように感じた。約15年前のことだが、あの頃からすでにスターだった。
そしてもうひとつ、今でも胸に残っている場面がある。
結婚式の直前にお父様を亡くされたご新婦様の、手紙披露の時間だ。会場にいた8〜9割の方が泣いていた。スタッフも、もちろん私も。

感動を仕事として受け取れる場所がある。しかも、対価をいただきながら。それが、ウェディングカメラマンという仕事の特別さだと思う。
一方で、あまり思い出したくない記憶もある。
撮影に慣れてきたころ、完全に油断してしまい、披露宴のデザートビュッフェ中、ご親族の方にぶつかってしまった。料理が床に落ちた。手が震えた。頭が真っ白になった。今でも当時の記憶があまりないと言いたいところだが、鮮明に覚えている。
有楽町での怪しいオファー
横浜近辺での撮影から約2年が経ったころ、急展開が起きた。
以前、映画制作のコミュニティで携帯番号を交換したHさんから突然連絡があり、「新しい結婚式場が豊洲にできるから、一緒に働かないか」と言われた。
急な話で、しかも実際に会うのは2〜3回目。期待よりも不安と怪しさの方が勝っていた。それでも詳細を聞くために、有楽町で会うことにした。
オファーの条件、その全貌
Hさんが言うには、今年、豊洲に新しい結婚式場がオープンするので、ぜひそこで働いてほしいとのことだった。仕事の受注に関しては、【式場→A社→B社(Hさんの会社)→C社→私】という多層構造だった。
私の頭の中は、ん、ん、ん、どういうこと?
そこでHさんから聞かれた。

「今、撮影で月いくら稼いでいるの?1件いくらほしい?」
とてもストレートな質問に、私はのけぞりながらも、
「……1件15,000円ほしいです」と答えた。
今の給料の約2倍。少し経歴を盛って伝えていたこともあり、内心ドキドキしながら言った金額だった。
少し間があって、Hさんから返ってきた言葉は——
「OK、1件20,000円でどう?」
え、え、え、いいの?
あっけにとられた私は、気がついたら前のめりになって撮影開始日を聞いていた。最初の不安も迷いも、もうどこにもなかった。
これが私にとって、初めての副業での「交渉」だった。
投資でも副業でも、相場を知ることは非常に大切なことだ。知っているか知らないかで、結果が変わってくる。
約1か月後に、豊洲での撮影が始まる。
ただ——自分がこれほど実力不足だと痛感することになるとは、この時の私にはまったく想像できなかった。
次回 Vol.3——副業カメラマンのリアルな給料事情
20,000円/件のオファーを受け、豊洲の格式ある式場へ。しかしそこで待っていたのは、横浜では経験しなかった現実だった。9年間で積み上げたもの、60万円の機材投資、そして給料相場をリアルな数字で公開する。
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