個人事業主になった日のこと
オーストラリアから帰国し、仕事を探していたある日、私は開業届を手に市役所へ向かっていた。
約3年弱のオーストラリア生活のなかで、忘れられない出会いがあった。最後の1年半は、映像プロデューサーの家にお世話になった。英語はもちろん、映像のこと——特に映画監督という仕事について——多くを学んだ。
帰国が近づいたとき、ふとこんなことを思った。
「日本にいながら、海外のプロから映像を学べる場所があったら面白いんじゃないか」

根拠はなかった。勝算もなかった。ただ、その思いつきに押されるように「英語で映像を学ぶ」コミュニティの立ち上げに向けて動き出し、個人事業主の開業届を提出した。
全部、赤字だった
何もかもが初めてで、手探りでコミュニティの準備を進めた。今となってはそのデータは何も残っていないが、当時、10〜20万円を払ってホームページを業者に依頼した。とても誠実な業者だったのだが、文字を少し直すだけ、レイアウトを少し変えるだけで、そのたびに費用が発生する仕組みだった。(今の時代なら、YouTubeを見ながら自分でできてしまうのに。)
生徒がまだ一人もいない段階で、プロデューサーの来日を決め、ホテルを手配した。なぜかプロデューサーの奥さんまでついてくることになり、少し焦った。(笑)
結果、応募してくれたのは映像学校に通う学生が1名だけ。私の準備不足もあり、受講料は全額返金。結局、プロデューサーを紹介して終わった。
そのまま個人事業主としての記念すべき初年度が幕を閉じた。
売上:0円。赤字:それなりに。
シュミの代償
その後も、なぜか映像会社に就職しようとは思わなかった。派遣社員として働きながら、映画制作のコミュニティに所属した。
コミュニティで知り合ったカメラマン——プロではなく、私と同じ「趣味レベル」——と一緒に、MVを1本制作した。オーストラリアでMVの現場を経験していたこともあり、「ミュージシャンにMVを作る仕事ができないか」と模索していた頃だ。売り込み用のプレゼン資料を作ったり、宣伝チラシのようなものを作ったり。同時期には、ショートフィルムの脚本まで書いていた気もする。

(当時の宣伝チラシ)
この時期、お気づきのように、すべて赤字だった。
それでも、私はやめなかった。お金にはならなかったけれど、楽しかったから。それだけが、続いた理由だったと思う。
そして少し時間が空いて——ウェディングカメラマンとしてデビューすることになるのだが。。。
才能がない私が選んだ道
私自身は——高卒。借金をして事業を立ち上げるような度胸もない。突き抜けた才能もない。普通の人間だ。
それでも、約18年間、個人事業主と会社員を同時に続けてきた。今振り返ると、才能がなかったからこそ、この「二足のわらじ」というスタイルが自分にはぴったりだったと思う。会社員の給料という「土台」があったから、失敗しながらも続けられた。

まとめ
振り返ると、私の副業の歴史は「失敗と赤字と、たまたま」でできている。戦略もなかった。才能もなかった。あったのは、ただ好きで、面白くて、気づけば夢中になっていた——それだけだった。でも、続けた。それだけで、続けられた。

個人事業主と会社員の二足のわらじは、才能がある人だけのものじゃない。むしろ、普通の人にこそ、向いているスタイルだと私は思っている。
会社員の収入という「土台」があるから、失敗できる。
失敗できるから、続けられる。
続けるから、いつか形になる。
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